矢田 明子さんインタビュー

第1期

島根で活躍する人材を、雲南から

幸雲南塾 1期生 矢田 明子さん

−幸雲南塾の1期生ですね

現NPO副理事の尾野(寛明)の知人を通じての、一本釣りでした。当時は、参加者がなかなか集まらなくて、いろんな人に声を掛けていたみたいです。課題意識の分野は問われなかったので、いろんな人に会えるからと気軽な感じで行ってみたら「実際に実行してください」の塾でした(笑)騙された!と思いましたね。笑。原体験を掘り起こして、現在の「イイトコ発見プロジェクト」になったものの元プランをつくりました。いいとこ発見は、その後も4年、続いています。個人的に良かったのは、「くらし」のとらえ方は多様で、アプローチの仕方がいろいろあるよね、とわかったことです。当時通っていた県立大から島根大医学部に入り直したきっかけにもなりました。

−塾の卒業生で「おっちラボ」ができました

塾が終わり、イイトコ発見プロジェクトをやっているうちに、同じような志を持った2期生、3期生の医療メンバーも入ってきて、実践が次の実践を呼んで活動しているのが見えました。市役所も幸雲南塾を予算化してから3年が経ち、「始めの一歩を踏み出せる人は沢山生まれたけれど、そのあとはどうしているのか?これからどうするのか?という混沌とした状態で、それは市役所側も幸雲南塾卒業生も同じ状況でした。振り返ってみると、私が何年も活動を続けてこれたのは、周りの人や友人からサポートを受けられたことが大きかったからで、市役所の人との話の中でも「みんなの活動をサポートするようなも中間支援組織があった方がいいよね、「塾生の活動をさらにサポートし、毎年ちょっとずつでも動けるようにするためにも、NPOにしていきましょうという」話になっていきました。そこは疑いを持っていなくて、大事なことだなぁと思っていましたし、NPO立ち上げを手伝っていたら、理事を構成していく中で理事長ということになって。まだ答えが出ていない、成果が出ていない時に代表に座るのは、とても勇気いるし、すごく怖かったです。雲南で頑張る人を育てたいと思ってスタートした次世代育成事業であると思っていましたし、自分は住んでないし、島根大学医学部をいよいよ卒業して新しいスタートを切るときでしたし。気持ちを切り替えるのにも、家族の理解を得るのにも、正直、時間がかかりました。今は、幸雲南塾の塾長と、医療分野の塾生のコーディネートをしながら、雲南病院と兼務で、保健師をしています。

−今後の幸雲南塾をどう考えていますか

「はじめの一歩をつくっていくのか、本当に事業化していく人をつくっていった方がいいのか、答えはわからないです。最近思うのは、答えはつくっていくものだということです。答えがわからない中でも、最適を目指して、諦めず繰り返しやっていくというスタイルで運営していって、若者が育つ町に雲南が、島根がなるといいなあと思っています。これ!という答えはないというか、自分たちでありたい未来をつくっていくのが、答えかもしれないと思っています。それは、その土地によって違うし、いる人によっても違う。だから自分たちでありたい未来をつくる若い人たちを応援するNPOも、赤ちゃんができて、ミルクをあげて、つかまりだちができるようになる、そんな風に子育てするみたいに、はじめての育児みたいに、NPOを育てていけばいいんだなと身を置いてみて思っています。ご縁や時間の渦の中でやっていることも、振り返ると意味がありました。仲間や自分がもがく姿から、どうしたらいいか、考えるきっかけをもらっています。

−地域の皆さんにメッセージをお願いします

若い人たちの実践やがんばってチャレンジすることは、周りの先輩の大人の皆さんから見たら、世間知らずで未熟だったりすると思います。未完成だし、想いが先走って失礼だし、独りよがりもたくさんあるとおもいます。それでも、いい活動になっているのは、周りの大人の在り方、関わり方次第だとも思います。地域の中には若い人の実践にチャレンジに知恵を貸してくれる大人がいます。NPOは若い人の実践を理解し、力を貸してほしい、というのを地域の方にお願いしています。雲南でできたら出雲や松江でもできるし、島根全体がそうなったらうれしいです。多様性をたくさんの人が受容していかないとできないですよね。簡単にはそういう未来は実現しないでしょうけれど、島根で活躍する人が雲南から出てきて、人が育つ町として雲南の皆さんが誇りを感じだしてくれると、大変うれしいです。
 
聞き手:田中 輝美(ローカルジャーナリスト)